世界教師デーは労働者としての教師の立場を主張する日
教師も当然労働者です。
教師の待遇改善が後回しでよいはずがありません。
教師としての健全な意欲・情熱を維持できる待遇は当然の権利です。
しかし、『教師の地位向上を目指す日』というお題目は止めた方が良いと思います。
もともと教師は尊敬される存在です。
教師は、子供達にとって人生を左右する存在になり得るのだからです。
尊敬し、敬愛できる教師と出会えることが、子供達にとってよりよき人生を歩める条件のような気がします。
異論は無いと思われます。
勿論、教師の行状に驚き呆れる報道がなされることがあります。
だからといって、全ての教師が行状が悪いなどと思う人は殆どいないでしょう。
それほど教師は特別な存在です。
教師の地位向上は、教師としての行動・言動・成果によって尊敬される存在になることによって自然と高まります。
- 日の丸を引きずり下ろす教師が尊敬される訳がありません。
- 国歌斉唱で規律を拒む教師が尊敬される訳がありません。
- 特定の政治信条を生徒に押しつける教師が尊敬される訳がありません。
声だかに教師の権利だの地位向上だのを叫ばなくても、私たちは教師の行動・言動・教育に敬意をもち尊敬しています。
教育の現場に立たずに、組合活動だけをする人達に振り回されるのは止めたら如何でしょうか?
私はそのような姿をみると、情けなくなります。
[kanren postid="1947"]
[kanren postid="2037"]
最後までお読み頂きましてありがとうございました。
パイナップルリリー 花言葉:完璧
庚午