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『ベルリンの壁』崩壊は真にノーベル平和賞に価する出来事
『ベルリン協定』をブラント首相が締結したことで東西ドイツ・東西ベルリンという冷戦構造が安定的に固定されました。
この安定的な状態が結果として『ベルリンの壁』崩壊から東西ドイツ統合へと繋がったと私は思います。
ブラントの真意がどこにあったのかは判りませんが政治は結果だという概念からしたら、『ベルリン協定』はドイツ国民にとって素晴らしい協定になりました。
ブラントは一連の東西ドイツ関連の行動でノーベル賞を受賞しています。
しかし私は真のノーベル賞受賞資格者は他にいると思っています。
それは時代は違いますが、誰も想像すら出来なかった『ベルリンの壁』崩壊を現実のものとした人物です(後ほど登場します)
ブラントは単に偏った理想主義者(脳と行動がおかしいリベラル※大橋雅夫談)だったのではないかと思います。
『ベルリンの壁』が出来る前の状況

引用:Wikipedia ベルリン分割統治の様子

引用:Wikipedia 西ベルリンへのアクセス
首都であったベルリンはソ連占領地域にありました。
冷戦開始後、ソ連によって西ベルリンへ向かう鉄道・道路が封鎖されました。
従って西ベルリンへのアクセスが当初は自由では無かったのです。
生活物資などは、空輸に頼るしか方法が無かったのです。
その後、『ベルリン協定』によって安定的に自由往来が認められました。
そうした状況の中、東側から西ベルリンへ亡命者(東西ドイツ基本条約によって東西ドイツは相互に国家として承認しました)が大量に出始めました。
『ベルリンの壁』が出来る前は東西ベルリン間の往来は自由だったからです。
北朝鮮を見れば判りますが、脱北者は北朝鮮体制のメンツをつぶしています。
情報漏洩も冷戦下では特に留意されたことでしょう。
そのようなことを恐れた東側は対策として高さ3メートルの有刺鉄線を中心とした『ベルリンの壁』を建設しました。
ドイツ人の凄さですが、『ベルリンの壁』はまさに一夜にして作られたと言います。
但しのちのち強化されていくまでは抜け穴だらけでした。
そこで最終的には総延長160キロメートル高さ4メートルの『ベルリンの壁』が建設されました。
『ベルリンの壁』が出来た当初の様子
壁が出来た当初は本当に抜け穴だらけでした。
リアルタイムで見ていましたが、建物の窓の下が西側という場所がありました。
そこから脱出する様子がマスコミによって嬉々として報じられていました。
当然すぐに、ふさがれてしまいます。
もっとたくさんの人が西側へ亡命出来たのに・・・・
大脱出をリアルタイム中継したらどうなるのか
考えも及ばないのがマスコミなのでしょうね。
『ベルリンの壁』の惨劇
少なくとも136人の子供も含む犠牲者が出ています。
ただし東側の警備兵は職務に忠実だっただけです。
ドイツ人らしい忠実さで脱出を防ぎました。
トンネルなども掘られていましたが、当然見つかりました。
南北朝鮮の非武装中立地帯を突破してくる人もいます。
朝鮮人らしい施工とメンテナンスです。
有刺鉄線はぼろぼろで地雷も爆発しない事もあるようです。
私にはドイツ国境警備員を責めることは出来ません。
『ベルリンの壁』崩壊のきっかけ
勘違いでベルリンの壁を崩壊させ東西ドイツを平和的に統一した立役者とされるシャボウスキー報道官がいます。
11月9日、一党独裁のドイツ社会主義統一党(共産党)の政治局員だったシャボフスキー氏は、党中央委員会総会2日目についての記者会見の中で、これまで厳しく制限してきた西ドイツへの出国を、希望すれば誰でも条件なしでビザを発給し、直接西ドイツに出国できるよう、大幅に制限を緩和すると発表した。
このとき、いつから発効するのかと聞かれたシャボフスキー氏が「私の知るところでは…直ちに、遅滞なく」と答えたため、ベルリンの壁には西ドイツへの出国を求める東ベルリン市民が殺到。壁は政治的な意味をなさなくなった。
後日談もあるようです
エールマン氏は独公共放送などのインタビューに対し、会見1時間前に知人の東独・社会主義統一党の中央委員から「必ず旅券法改正の質問をするように」と電話で依頼されたと証言。同氏はこの中央委員の名前は挙げなかったが、一部メディアは「東独通信社の総裁」と報じている。一方、シャボフスキー氏は「質問は唐突だった」と東独政府による事前依頼を否定している。
(朝日新聞2009年4月22日付朝刊より)
しかし報道官が何を言おうが、テレビを観て『ベルリンの壁』へ向かった市民を通過させるかどうかは別問題です。
まだ対応が決まっていない時点で門を開放し、壁を破壊する様を放置した人達がいます。
あとでどんな処分が下されるかも判らないのに・・・・
最初の引き金はゲートの管理者でした。
その人がノーベル賞でしょう!
東側ドイツ人です。
当時は処刑されても誰にも判らない状況です。
突然何の前触れも無く、『ベルリンの壁』が崩壊したのに一切の流血が無かったのは近代史における特筆すべき事柄だと思います。
ベトナム統一とドイツ統一
ベトナム統一は悲惨で長期的な戦争の結果として起こりました。
北ベトナムによる赤化統一です。
当時、南ベトナムから漁船で脱出する人が後を絶ちませんでした。
赤化統一は相当の痛みを国民に強いると思います。
現在ではベトナムは緩やかですが民主化へと向かっています。
日本で会うベトナムの方々は知る限りは真面目で頭がいい人が多かったです。
ベトナム人が日本で犯罪をする割合が高いそうですが、元々犯罪率の低い日本だからこそ目立つのだろうと思います。
いずれ民主的な地域大国へとベトナムは進むでしょう。
それに対して、ドイツ統一は偶然のたまものとはいえ、民主的無血統一をすることが出来ました。
この場合はドイツ政府(勿論国民の経済的負担になります)の莫大な出費が必要でした。
しかし、さすがはドイツ人です。
経済問題を克服して民主的統一を成し遂げました。
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ドイツ統一は平和裏に行われたのです!
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なぜ『ベルリンの壁』崩壊の最大の貢献者たちが『ノーベル平和賞』をもらえないのか・・・大いに疑問です。
私は、今のノーベル平和賞選定は本当におかしいと思います。
戦争を始めた当事者で、しかもさんざん殺戮を繰り返し、戦争で十分儲けた人達の代弁者が受賞したり候補になっていたり・・・・
最後までお読み頂きましてありがとうございました。