今日は何の日

10月19日 日ソ国交回復の日:62年経っても平和条約が結べない国でもあります

国交回復と諸問題を解決して戦争を回避できる平和条約は別

1956年に日ソ共同宣言という形で、日本とソビエト連邦(現在はロシア)は国交を回復しました。

回復前(回復後もですが)、漁船に対する銃撃・オホーツク海の領海化など武力を背景とした数々の嫌がらせを受けていました。

特に、北部北海道の方々は生活が大変だったと思います。

しかし日ソ共同宣言は、ただの共同宣言です。

条約ではないので、政治情勢が変われば何が起こるか判らない時代が過ぎていきました。

旧ソビエト連邦は共産革命を全世界へ波及させることを目指していました。

現在も一部の勢力が、その意志を継続していると思われます。

現在は非常に価値のある北方領土ですが、戦後かなりの期間は極東の極寒な島々でしか無く、ソ連は北海道が欲しかったでしょう。

もし、北海道占領がなされていたら、未だに北海道は返還されていないだろうことは、容易に想像できます。

占守島の戦いを日本のためにおこなって頂いた戦士たちがいます。

その方々に感謝することがない日本の政治情勢はどうにかしないといけないと思っています。

占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)は、太平洋戦争終戦後(もしくは終戦準備・戦闘停止 期間中)の1945年(昭和20年)8月18日 - 21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘である。ポツダム宣言受諾により太平洋戦争が停戦した後の8月18日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄(8月9日)したソ連軍が占守島に奇襲攻撃、ポツダム宣言受諾に従い武装解除中であった日本軍守備隊と戦闘となった。戦闘は日本軍優勢に推移するものの軍命により21日に日本軍が降伏し停戦が成立、23日に日本軍は武装解除された。捕虜となった日本兵はその後大勢が法的根拠無く拉致され、シベリアへ抑留された。

引用:Wikipedia

プーチン大統領と安倍総理

どちらも長く政権にあり、お互い良好な関係を築いておられるようです。

しかし、双方とも任期は残りわずかでしょう。

北方領土問題を解決して法的に平和を取り戻せるチャンスを是非とも、つかんでほしいものです。

国民がしっかりと支持・支援しないと妥協せざるおえない場面で暗礁に乗り上げてしまいます。

最後までお読み頂きましてありがとうございました。

レモンバーベナ 花言葉:魅惑

甲申

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