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もしかしたら理想を追い求めることが人生上手くいかない理由かもしれない

理想と現実のギャップに悩む必要が無い

 

理想という幻想
後天的にすり込まれたイメージでしかない
憧れの人の外観・ライフスタイル・プレースタイルだったり
本などのメディアからインプットしたイメージだったり

 

本質的な自分
先天的に持ち合わせている才能・使命(与えられた宿命)
本人の強みや適正に現れるはず

 

現実
理想と本質の間の現在の立ち位置

 

だとしたら、立ち位置を調整すればいいはず。
悩むだけムダ!
悩む必要すらない!

 

今まで思い描いてきた理想と本来在るべき姿は違うかもしれないと認識すること。
本質を見極めることに注力すること。

現実を改善(苦悩からの解放)

 

理想って綺麗な言葉ですよね。
その綺麗さに惑わされていたんだと思います
『自分の理想とする姿は必ずしもベストではない』
『単なる勘違い、思い過ごしかもしれない』
最近こんな考えにいたりました。

 

凄く楽です

 

目標
自己啓発
トップランカー

 

追い求めていたこと・・・
それぞれは間違ってはいなかったと思います。
勘違いしていたのは在るべき姿でした

 

たとえば、トップランカー

 

世界にはたくさんのランキングが存在します。
オリンピックのゴールドメダリストを目指す!
素晴らしいです。
 
結果として表彰台に登れなくても
在るべき姿の延長線上にそのランキングが
存在してさえいれば、人生はゆかさで満ちるでしょう。
 
私たちもそれぞれがトップランカーを目指すべきです。
ただし、そのランキングは自分が世界一になれる可能性が
あるフィールドで在るべきです。
そんなランキングをいくつか目指していれば
人生は前向きで愉しいと思えてくるはずです。
 
例えば私は『世界で一番大橋雅夫が好きな人ランキング』で
世界一を目指そうと思います。
これがなかなか難しいのですが・・・

 

共産主義とか宗教団体とか

 

両方とも私の嫌いな単語です。
どちらも理想的な概念を示しています。
ところがどちらも独善的な理想を求めるあまり
排他的になっています。
それも、有無を言わせず、是非もなく!

 

実現不可能な理想を夢と呼ぶのは
偽善だと思います。
独善的な理想を押しつけることは
悲劇を生むだけです。
たくさんの事例が証明しています。

 

独善的な理想には寛容の心が存在していない気がします。

 

私たちも後天的に刷り込まれた理想を求めるあまり
本質的な自分を見失ったり、排除したりしていないでしょうか?
もっともっと自分の心に素直で寛容になっても良いはずです。
たとえそれが人から見て甘いといわれたとしても!

 

なぜなら人生は貴方のものだからです。
自分のために生きることで
社会に貢献できることが
理解できたとき・・・・

 

ストレスフリーな境地に近づけると思いました

 

モデリングは目標ではない

 

上手くいっている人の真似をする。

 

上達の最適な方法です。
守破離の守に当たる部分です。
『石の上にも三年』
『1万時間ひたむきに取り組めばエクスパート(専門家・達人)になれる』
どちらも真実だと思います。

 

人生100年時代、3年間1万時間を
真剣に一つのことに取り組むのは
決して無駄なことではないはずです。

 

さてその上で、いつまで人の理想をトレースし続けるのでしょうか?

 

今この地球上には人間だけで66億人分の意思が存在します。
66億通りの生き方が展開されています。

 

野球少年ならばイチローさんに憧れるのは当然です。
3年間、愚直にまねをしてもいいでしょう。
でも、イチローさんには絶対なれません。
なぜならその道はイチローさんの在り方だからです。
イチローさんにフィットしているから結果が出ている。
そして歩みを止めない。
イチローさんの本質的な在り方だから、止める必要がない。

 

私たちも自分の在り方に近づいた道が見えたとき
その瞬間を光明というのではないですかね。

 

このブログのタイトルは Light Reader Magazineです。
光を見出す

 

光で照らす

 

道しるべとなれれば・・・
そんな思いが込められています。

 

66億人がストレスフリーな幸福で満たされたとしたら,
世界は平和で安定するのではないでしょうか?

 

現実主義って怠惰なだけでは

 

現実的対応とは、大抵が現状追認・妥協の産物になりやすいと思います。
人は現状を維持した方が心地よいのは事実です。
改善やフロンティスピリットはともすれば異端扱いです。

 

66億個の在り方が存在するはずなのに
刷り込まれた独善的理想の1個に集約するなんておかしくないですか?

 

人生における葛藤とは
与えられた、あるいは刷り込まれた理想と
自分の本来の在り方のギャップではないかと・・・

 

そんなことが頭をよぎり、このブログを書いています。
これもまた独善の世界かもしれません。

 

下手の横好きだってワクワクするならばOK!
人生において、食べることや寝ること(いわゆる寝食)を忘れて没頭した時間ってありませんでしたか?
私は有ります。
今もまだまだ上手くいっていませんが、諦めることも諦めようとすることもなく続けていることが有ります。
あまりやらなくなりましたが、40代まではゲームに夢中になって気づくと朝になっていたなんてこともよく有りました。
本を読んでいて、気づくと月明かりだけで真っ暗な部屋にいたことも何度も有ります。

 

本当に好きなこと
やっていて愉しいこと
考えただけでワクワクすること
使命感に燃えること
・・・・・

 

本当の自分、極めるというか求め続ける在り方が、
自分の好きなこと、
得意なこと、
いつまでも残る思い出の中に
存在しているはず!

 

だから、弱点や自分自身のイヤなところを直さなくてもイイヤと思った瞬間気分がすーっと晴れてしまった

 

すべての人が赤いバラが好きなわけではない

 

人は因果の関係に縛られているのは間違いないと思います。
生まれてからこのかた、たくさんの種(因)を蒔いてきました。
今の自分は今までの自分が作っている。
上手くいってないのなら、因を変えればいいはず!
それは、生き方だったり、考え方だったり、習慣だったり・・・・

 

でも間違った変え方をしてもまた、ギャップに悩まされるだけ・・・
自分の本質的なこと・在り方を探る時間を用意する。
その道のりを自分なりに歩み始める。
社会に貢献できている幸せに気づく。

 

どんな花が咲こうと、
その花を好きな人が
世界に最低ひとりはいる。

 

ストレスが消えていきます。

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