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「地裁が泣いた介護殺人」10年後に判明した「母を殺した長男」の悲しい結末を読んで

2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職の長男(事件当時54歳)が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」をご存じだろうか。デイリー新潮 11/16(水) 11:30配信

 

この書き出しで始まる記事を読んで見ました。

出来ましたら、先ずは、ご一読されてから、私の感想をお読みください。

 


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私は、両親をこの4年の間に立て続けに無くしましたが、やはり、介護の問題で苦労しました。

 

病院の医師は、お忙しいので、平日の昼間に状況説明のために来院するように求めます。

普通の仕事をされている方で、独り身ですと仕事を休まざるを得ません。

 

特に母親の時は、たまたま栃木で倒れられたので、神奈川から栃木まで、始発に乗って出かけなければならず、週に1回無いし、2回の小旅行を3月ほど繰り返していました。

結局そのまま、意識がきちんと戻らずに半年ほどで亡くなりましたが、それでも大変でした。

 

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介護殺人の記事を読む度に、悲しい現実に虚しさは感じていましたが、当事者になった時は、それどころではなく、出来る事、してもらえる事を必死で探し当て、なんとか、繋いでいました。

結局仕事は、どちらのケースも続けられませんでしたが、周囲に助けを求めないで抱え込んで追い詰められる状況までには、至らずにすみました。

 

 

 

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「情弱」という言葉がありますが、このブログは、情弱状態の方々への手助けが、大きなテーマとなっています。

 

事件、事故が起こる度になにがしかの対策がとられ、少しずつだとは思いますが、政治・行政は対応をし始めています。

でも、そのことが周知されていないのです。

そして自分で、その情報へアクセスしなければなりません。

 

私の場合は、直ぐに、行政の窓口に相談に出かけて、その時々の状況を説明し、制度として出来る事、出来ないことを切り分けて考慮し、対応を決めていました。

 

その結果、施設に入ることが出来て(それでも2ヶ月以上かかりましたが)なんとか、人間らしい対応が出来ました。

 

恐らく一人で、家で介護などをしなければならなかったら、思考が停止してしまい、似たような状況まで突き進んだ可能性も否定しません。

 

 

「追い詰められた家族の告白」よりも、追い詰められる前にその状況に対応出来る窓口の紹介・制度などを広く世の中に知らせる事をマスコミはしないのでしょうか?

 

マスコミの記事は、「不幸や戦争」を扱う方が人々の関心を引くらしいです。

結果、啓蒙の記事は、後回しになってしまいます。

後追い記事も大切です。

しかし、不幸を予防できる情報の発信はより重要だと思います。

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