私が宗教を語る上での前提:何で宗教団体が大嫌いなのか?

essay

上手くまとめられませんが書きたいことを書くためにごちゃごちゃ書いてみました。

宗教を批判する私という存在

「神」を定義することは意外と難しいと思います。

何をもって「神とするのか?」

  • 信仰の対象なのか?
  • 創造者なのか?
  • 絶対的権威なのか?
  • 死後の世界へ導く存在なのか?

 

さらなる疑問として

  • 天使はどのような立場なのか?
  • 精霊は神では無いのか?
  • 現人神は存在しうるのか?
  • 神を創造した者は誰なのか?

私にはいくらでも疑問が湧きます。

おそらくは 何の疑問も湧くことが無い素直な人たちが神に愛されるのかもしれませんね。

 

宗教団体がいう神に愛されない私が、宗教的な記事を書く上で思うことがありました。

 

あまりにも範囲が広すぎると・・・・・

その都度自分の立場・前提を述べるのは申し訳ないとも考えました。

そこで一度、私が思っている現状を示しておこうと思います。

 

私は子供の頃から宗教が大嫌いでした。

それが母の死を前に突然神社仏閣(主に観音様)参りを始めました。

きっかけは春日大社の神官であられた葉室 頼昭さんの神道のこころを偶然読んだことでした。

読書後に思いました。

神が悪いのでは無く、宗教団体が嫌いなのだと!

 

葉室先生にはとても感謝していました。

春日大社へ伺うことが一つの目標でもありました。

使の鹿に見つめられ春日大社へ念願の感謝参拝!

 

私は非常に頭が堅い人間です。

しかし、自分が間違っていると思えば突然宗旨替えも出来る変わり者でもあります。

 

そんな人間の現在位置を語ってみます。

 

私の独断的現状認識と主張

 

「神は自らに似せて人を作った」

これは創世記に記されている表現でユダヤ教・キリスト教・イスラム教などに共通の認識です。

進化論を肯定出来ませんよね!

実は私も進化論には否定的です。

私は多様性と取捨選択の結果が現在だと思っています。

 

ところで似せるとはどういうことなのでしょうか?

  • 単純に姿形を似せただけのモノ
  • パーマンのコピーロボットのようなモノ(知らないですかね)
  • 神の分身(つまり神)

 

創造に関して古事記においても私には疑問点があります。

神は造化三神によって造られていきますが、民は誰が造り出したのかという疑問です。

神と民を分けて造り出していったのでしょうか?

神話では、神と人間の間には子供が生まれます。

生物学的に極めて近い存在だといえます。

猿と人間間では子供は出来ないはずですから。

 

 

私には古事記にしてもギリシャ神話にしても極めて人間的な感じがします。

そもそも古事記とギリシャ神話は内容が酷似しています。

おそらく原始宗教の大半が人間的な神の存在を前提としていると思います。

何故なら人間の神だからです。

 

そこでですが動物に宗教観が無いと証明されたのでしょうか?

飼い猫が亡くなった主人の墓に日参する話は世界中にあります。

なかにはお供え物を届ける例さえあります。

現代において犬は放し飼いが難しいので物理的に無理でしょうが・・

 

 

宗教の本質が「死」との向き合いならば、動物にも実例があります。

宗教の本質が「愛」ならば、考えるまでも無く人間以外の動物も宗教的です。

 

新版「かもめのジョナサン」を読んで

上記の話はまさしくカモメの宗教です。

もちろんフィクションであり現代宗教を揶揄しているわけですが!

 

思うに人間だけが(もっと言えば神職だけが)神の御心を理解し、その愛を授けられるなんてごう慢ではないでしょうか?

 

宗教が人間のためのものならば、猫神様がいても良いはず(多神教になりますね)

宗教が全ての生きとし生けるもののための存在ならば、教会に通う必要があるというなら全ての動物を招き入れよ(邪教みたいですね)

 

こんな意見にイエスや釈迦はなんと言うでしょうか?

 

イエス死後のイエスの言葉を伝える福音書などがたくさんあります。

共通項も多いでしょうが、明らかに異なる事例・表現もあります。

欠落している事柄もあるでしょう。

大体が新薬聖書はローマ帝国に都合の良い事柄だけで出来ています。

 

私は伝言ゲームと意図的な編集の結果が新約聖書だと思っています。

 

イエスの真意が伝わっているとはとうてい思えません。

カモメたちと同じです。

 

釈迦も弟子たちに自分の葬儀に関わるなと伝えたにもかかわらず、弟子たちは葬儀に積極的に関与しています。

現代において宗派が違って唱える経典が違うのも変ではないですか?

その経典は釈迦の真意を伝えてますか?

 

 

真意を伝えることは本当に難しい。

直接伝え聞いた直弟子達でさえ、イエスや釈迦の真意を理解できていない事実!

 

宗教団体がエゴにまみれた人間が造ったモノで有り、エゴにまみれた人間が運営している以上、エゴにまみれた人間のためにだけ存在し続けているといえます。

もちろん人はエゴを捨てられません。

ダカラ人間なのですから。

自分のエゴにこだわるならば、他者のエゴの存在(エゴを認めろとは言わない)も認めたらどうですか?

 

さらには同じ宗教で有りながら宗派がどんどん分岐分派していく様をイエスや釈迦はどう思うでしょうか?

愛の本質とは何なのでしょうか?

何故愛を語り、世界は一つだと宣う宗教団体が分裂するのか不思議でした。

 

 

 

それ故の結論。

イエスや釈迦と現状の宗教団体とは全く異質な存在!

宗教をビジネスにしている宗教団体が私は大嫌い!

ただし最低限の維持活動を否定するものでは無いことを明記しておきます。

 

唯一神と多神教 普及活動は神への冒涜

私は鎌倉生まれの鎌倉育ちですので、生活の中に神社仏閣が普通に存在していました。

そんな私が宗教団体をそこまで嫌悪しだしたのは布教活動が原因です。

彼らは何故教会に行かなければならないのでしょうか?

神は常に側にいるはずです。

 

自分には何かに守られている感覚があります。

それが何かは判りませんけれども・・・

なので今現在も守ってくれている存在以外のモノ(神)でしたら間に合っているので不要です。

 

私を守ってくれている存在とあなた方がオススメする神が同じモノならば布教する必要がありません。

違うというならば構わないでください。

 

私を守っている存在に何か見返りを要求されたことは一度もありません。

まして先付けなんて、絶対お断りです!

 

 

宗教は特定の団体だけのものではない!

宗教は全ての生きとし生けるものの個別の自由だ!

布教活動をしなければ伝わらない宗教なんてインチキだ!

これが私の宗教観(宗教団体嫌い)です。

ここまで書いて各論に入っていきたいと思います。

 

 

投稿者プロフィール

大橋雅夫
大橋雅夫respect justice
鎌倉生まれの湘南育ちです。
60才を越えましたが、まだまだ好奇心旺盛です!

このブログでは、『知らないではすまされない事を、お知らせしていく』がメインテーマになっています。

いわゆる情弱で損をさせられている人が一人でも救済されますことを願って、ブログを書き続けていきます。


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