法事・法要が多すぎませんか?残された人が癒やされる時間が必要です

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今回のテーマは『法事・法要が多すぎて負担だと想う』

 

お通夜・お葬式は分かります。

お葬式の要らない私でさえ、焼き場には大切に想っている人の中で、誰かひとりぐらいはお別れに来てくれたら良いと思っています。

その上で、亡くなってから延々と続く法事法要、更には毎年のお盆行事等遺族がお寺(お墓)に対して負担・拘束されることが多すぎると思っています。

 

精神的にも経済的にも不安定にさせる法事法要に何の価値があるのでしょうか。

 

 

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心の整理・区切りがついたら法事・法要は不要だというのが私の主張です。

 

一連のお葬式は遺族が心の整理・区切りをつけるため

 

そもそも私はお葬式は、遺族が故人に対して心の区切りをつける儀式でしか無いと思っています。

 

突然の不慮の死など、なかなか心の区切りがつかないケースもあります。

そのような場合は荼毘にだけふして、お葬式は落ち着くまで待ってあげれば良いと私は思っています。

遺族の気持ちが落ち着かないうちにスケジュールを決められるお葬式が何の意味があるのでしょうか?

成仏しないとは思えません。

 

 

 

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お釈迦様がお葬式を執り行わなければ成仏しないとおっしゃったのですか?

イエス・キリストの教えにお葬式をあげないと地獄に落ちるとでも入っているのですか?

今の金儲け教団ならともかく、釈迦もキリストもそんなこと云うとは思えません。

 

 

私は、完成された儀式を否定しません。

私も神社参拝するときは、様式に則って参拝しています。

ただ神社に入ってイヤだと感じたら早々に立ち去りますけどね。

 

どういう様式・儀式を選ぶかは個人の自由です。

宗教の選択も自由です。

そして宗教に頼らないのも自由です。

 

 

法律的には荼毘に付す必要があります。

荼毘に付した段階で、心の整理ができ、平穏が訪れたらそれ以上の法要は必要ないはずです。

 

 

これは個人的な体験ですが。

私は私の両親ともに納骨だけでお葬式さえ不要だと思っていました。

弟も相談したわけではありませんが、同じ意見でした。

ところが父親の場合は、生前に戒名を用意し、日頃からお寺に貢献していたので納骨以外にいろいろと儀式を行いました。

父の場合は、亡くなる数日前に普通に私と会話しています。

バイタルが下がったといわれてから、週二回は病院で対面し、寝ていない限りは会話していました。

そして家族全員が既に死を受け入れている状態です。

もうそれで家族は十分なのです。

 

故人のための供養でしょうか?

成仏を迷っているとでもいうのですか?

 

 

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それでは死を受け入れがたい方の場合はどうでしょう。

やっとの思いで焼き場でお別れし、お葬式もあげたのに、また法要で心を揺さぶる必要があるのでしょうか?

金銭的な代償と引換えの儀式で、心が癒やされますか?

お葬式が終わっても喪失感が消えない方に本当に必要なのは、セラピストだと思います。

 

それとも数々の儀式をこなすうちに悲しみが薄れるとでも・・・

単に時間が解決しただけではないでしょうか

 

 

答えられる方がいたらお願いします。

法事の数々は誰が必要だと言ったのですか

全て行わないと成仏しないのですか

それは誰が言ったのですか

 

一連の葬儀をもっと簡素化すべき

今の時代は、同時にいくつかの法事を行う葬儀が出来るのですから、一回で済ませられないのですか。

遺族が早く前を向く時を迎えて欲しいと思わないのですか

 

 

 

さらに思うのは、修行したお坊さんと我々は死後向かう先が違うのでしょうか

同じならば修行なんて無駄ですよね

違うならば『まやかし』で遺族を惑わし、お金を搾り取るのを止めませんか

そんなことで違いが生まれるとは思っていませんですけどね。

 

因みにお坊さんと我々で死後の行き先が違うならば、私はそんなお坊さんや宗教家がいるうす汚い場所へは行きたくないです。

 

 

皮肉が過ぎると思いますが、誰もがいつの間にか負担ばかり増えていった葬儀・法要を全てこなせるわけではないことを前提にして欲しいと思います。

 

 

最後までお読みいただきましてありがとうございました。
オオハシマサオ