お墓に入ることに必然性は感じられない/海洋散骨

貴方にとってお墓は必要ですか?

ご訪問いただきましてありがとうございます。

今回の記事のテーマは『お墓にはいることの意義』

私の主張:『お墓にはいることに必然性は無い』

 

私がお墓に関して願い、かなえたいと思っていることは三つです。

  • お墓が無くて困っている人達の手助けをしたい。
  • 土、あるいは海へ還りたいという想いをかなえること。
  • 遺族への負担を軽減したいと望んでおられる方への後押し。

 

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最初にお断りしておきます。
私はご本人がお墓に入ること、お墓に入りたいと願う気持ちを否定しません。
先祖代々のお墓に入りたいと願う気持ち、あるいはご自身で建てたお墓に入る意思は、絶対的に尊重されるべきだと思います。
従って当然ご本人が散骨を望まれたのでしたら、尊重するべきだと思います。

 

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私は、お墓不要論を書いていません。

お墓が無くても問題ないですよと伝えたいだけです。

散骨もお墓に納骨するのも故人との心の区切りをつける手段です。

お墓が無くても大丈夫というメッセージとしてこの記事を書いています。

 

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一般の日本人がお墓に入る習慣が出来たのは鎌倉時代からのようです。

それまでは皇室を始め豪族など限られた人だけの慣習でした。

お墓は古代において、権勢の誇示や死後への恐れからの解放手段だったと思われます。

それでは、お墓に入られていない方々は、今なお彷徨ってておられるのでしょうか?

先の大戦で不幸にして多くの方々が命を落とされました。
遠く海外で亡くなられた方も大勢おられます。
今なお、真摯に遺骨収集を行っている日本という国に誇りを感じます。
しかし、海外で亡くなり遺骨が見つからない方々は今なおその地に留まっておられるのでしょうか?

私はそうは思いません。
まさに英霊である方々は、靖国を経由して大切な方々の元へお戻りになったはずです。
そして輪廻転生されるのか、死後の世界が有るのか分かりませんが然るべき居場所へ移られているはずです。
もしそうでなければ、亡霊と呼ばれる存在がそれこそ世界中にあふれてしまいます。

 

釈迦の時代、インドでは葬儀はバラモン教で行われていました。
インダス川などへご遺体を流すのが普通です。
理由は輪廻転生にあります。
死者の魂は既に抜けておられるので、遺体は遺体でしか無かったからです。

勿論死者への敬意や悲しみは当然ありました。

しかしそれは、あくまでも心の問題です。

遺体への執着はあり得ませんでした。

 

 

では現代の日本において、お墓の位置づけ・役割は何でしょうか?

  • 隣がお墓を直せば、自分もお墓を直す。
  • 誰もお参りに訪れないお墓。
  • ロッカーのようなお墓。

私の目には風雨にさらされる遺骨の保管庫に見えます。

なによりお墓があることでお寺さんとの付き合いごとが生じます。

それが私にはとても負担でした。

自分や弟が散骨を望んでいましたので、お墓を親族へ無償で譲り渡しました。

現在は正直ほっとしています。

 

ご確認ください。

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ご自身にとってお墓は必要ですか?

故人のお墓を用意できない心の負担がありませんか?

果たしてお墓は私たちに必要な存在だといえるでしょうか?

 

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

オオハシマサオ