人のことを祈るなんておこがましい




誰かのことを思って祈る

という言葉を

よく耳にしますし、

また自分自身でも口にしたりします。

 

 

しかし、

祈った通りに事がなる場合と

ならない場合があります。

それは自分に関してもまた

他者に対しても普通に起こること。

 

 

どうせ祈っても祈った通りにならないなら

最初から祈る必要などないのでしょうか?

 

私にはわかりません。

 

 

宗教の世界では「祈祷代」が発生します。

祈祷代が高ければ祈りが聞かれ

無料なら祈りは聞かれないのでしょうか。

 

 

私にはわかりません。

 

 

そもそも祈るってなんだろう

って思います。

自分が自分なりの考え、

自分の経験値の中で考えうる

最大の幸せを願うこと

だったり、

なにが最善かわからないけど

最善が自分の願う結果でなかったとしても

なったことが最善なのだ、と受け取り

そうなることを願うこと

だったり、

様々です。

 

 

 

でも、そもそも人の最善など

人に分かるのでしょうか。

その前に、何が最善で、何が最悪なのか

何が良くて何が悪いのか。

その人がどう捉えるのかで

最善も最悪となり、最悪も最善となる。

・・・とすれば、祈るってなんだろう

とますますわからなくなります。

 

 

ある人にとっての善は

誰かにとっての悪であったり

ある人にとっての悪は

誰かにとっての善であることもある。

 

 

じゃあ、祈るって何?

そもそも祈る必要なんてあるのだろうか。

その人がその人の最善を進んでいるのに

最善がなりますように、と祈ることそのものが

もしかしたらおこがましくないでしょうか。

 

 

最善がなりますように、

と祈る背景には

今、最善じゃない、という

前提がある場合が

多いのではないでしょうか。

 

 

 

 

今も最善ですから、それを感謝しつつ

これからなりゆく最善を信じ感謝します

 

 

としか、言いようがない。

この世に良いも悪いもない、

というのなら、祈るとは

その人が何かを希望するか、

希望の表明であって、

ことを動かすための

手段ではないはずです。

 

 

人は何を望んでもいい、

何を希望するも自由。

望む内容によっては

誰かにとっての

悪になりうるかもしれない

でも、良いも悪いもないのなら

誰かにとっての悪などない、

とも言える。

 

 

 

考えれば考えるほど

わからない。

ただ、ひとつ思うのは

「願うこと」は自由であり

願う内容の賛否、良し悪しなど

誰にも分からない、

ただそれだけ。

 

 

そして祈りとは

時におこがましい行為なのでは

ということ。

そして最後に

 

 

 

「祈祷代」って何でしょう。

投稿者プロフィール

SATOKO~芥川智子
SATOKO~芥川智子Diet & Mental ; Puriet Counselor
主婦であり母である生活者、家庭経営者として、
当ブログでは主に心についての記事を書いています。

心の相談室 Counseling Salon Dressy
https://salondressy.wixsite.com/dressy

心と身体の健康を中心とした個人ブログ
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