教育評論家とかいう、草刈り機!子どもの芽を摘む大人にはなりたくない




教育評論家とかいう、草刈り機

 

草刈り機にしろ、芝刈り機にしろ、見栄えを良くするために一律にそろえて刈ってしまいます。

 

彼ら教育評論家は、口では、個性を大事にといいます。

結果より経過が大事だとも云います。

競争は良く無いと運動会で、手を繋いでゴールさせる人達もいます。

 

競争の無いところ、上を見ない人に向上心は芽生えません。

もしかしたら 脇見をしないと見えない景色があるかも知れません。

個性とは、社会的制限の範囲内での個人的自由意思の表現だと思います。

 

  • 運動会で順位をつけない!
  • 学力テストに反対!
  • 英語の授業で、難しいからといって発音記号を教えない!(カタカナ表記だそうです)
  • 今は、元に戻したみたいですが、円周率を「3.14」ではなく、「3」として計算させる!

 

かけっこが早い子が、運動会で頑張る。

算数の好きな子が、鶴亀算や旅人算の問題を楽しんで解きまくる。

外国に興味のある子が、発音を学んでみる。

宇宙に魅入られて、星ばっかり見て星座の名前を覚えてる。

マンガが好きで、イラストばっかり描きまくっている。

 

一生懸命努力しても、評価が同じだったら、やる気が出ますか?

周囲が努力をみとめてくれないと、モチベーションを維持できますか?

一点集中で好きな事をするのが、悪い事ですか?

 

私は、やる気を失うと思います。

子どもなら、尚更だと思います。

 

「二番ではダメですか」と、のたまわった政治家が今では政党の代表をつとめています。

懸命に努力して、世界一を目指した結果の二番に賛辞を送らない人はいないと思います。

でも、最初から、一番を取れる可能性が高いのに、二番以下でガマンしろは、許せない発言です。

この政党の支持母体に日教組があります。

日本を、日本人をダメにする意思さえ感じてしまいます。

 

 

  • 授業内容が難しいから
  • 落ちこぼれをださないために
  • 先生の負担が大変

 

これは、子どもの問題ではなく、教える側の教師の能力の問題です。

教える能力、子どもの個性を見抜く能力、好奇心を引き出す能力!

 

 

飲み込みの早い子、要領の悪い子 どちらも個性です!

運動神経のよい子、多少動きの鈍い子 これまた個性です!

 

 

掛け算を習い始めでは、確かに習熟に差がつきます。

それでも、大人になって、簡単な掛け算ができない人はどのくらいいますか?

 

本人の必要が、きっかけとなり、また、反復して掛け算に触れているうちに、自然と覚えていくはずです。

 

教師や教育評論家が、本人の可能性の芽を摘んでしまっていなければ!

 

子どもの無限の可能性を認められない教師、そして、教師の能力不足を擁護する教育評論家と呼ばれる不思議な存在。

 

天才少年少女は、実は特別な存在ではなく、周囲の理解と見守りが生み出していると思っています。

 

 

未来をふさぐ出来事

 

私の甥っ子に、ハーフの子がいます。

毎年、夏休みに日本に2ヶ月ぐらいやってきて暮らしていました。

その間あっという間に流ちょうに日本語を話すのですが、一年経つと日本語をすっかり忘れてしまいます。

それを何年も繰り返すうちに、だんだん、日本語の覚えが悪くなっていきました。

 

羞恥心が、好奇心を抑えてしまいました。

周りの、悪意の無い笑いが、本人には ブレーキとして働いてしまったのです。

 

実際に話すことに抵抗を覚えてから、以前は直ぐに流ちょうに話せた日本語ができないのです。

 

 

 

私は、高校時代に指文字でろうあの方と話すことが多少はできました。

今はすっかり忘れてしまいましたが。

 

ろうあの方は、耳が不自由なので、音が認識できません。

自分の発声が聞き取れないのです。

 

音を聞いて、まねして発音しながら話す事ができません。

 

その結果、会話をすることができない方が多いわけです。

 

しかし、大変な努力の結果、耳は聞こえませんが、発声はできる方がいらっしゃります。

当然、声のトーンやイントネーションに多少違和感があります。

 

その努力をもし、子どもの頃に笑われてしまったら・・・・・

 

 

  • 世の中は、器用な人ばかりではありません。
  • 世の中は、物覚えが早い人ばかりではありません。
  • 世の中は、モデリングが上手い人ばかりではありません。

 

人に、何かを教える場合、コンピューターが人間の教師より優れている点に、あきらめないことがあげられます。

 

もし、教える側に、だめ出しをされたら・・・・・・

 

 

人生の価値感

 

人の向き不向きで、人生を決める必要があるのでしょうか?

人は、やりたいこと、好きな事と云う基準で人生の決断をする方が幸せな気がします。

 

分かりやすい形での、大成功は望めないかも知れません。

でも、成功の定義は人ぞれぞれであるべきです。

 

 


人生の評価は、結局誰が下すのが良いのでしょうか?

そして、実際は誰が下しているのでしょうか?

 

 

 

 

投稿者プロフィール

大橋雅夫
大橋雅夫respect justice
鎌倉生まれの湘南育ちです。
60才を越えましたが、まだまだ好奇心旺盛です!

このブログでは、『知らないではすまされない事を、お知らせしていく』がメインテーマになっています。

いわゆる情弱で損をさせられている人が一人でも救済されますことを願って、ブログを書き続けていきます。


このLight Reader Magazine以外にもいくつかのメディアを運営しています。
ご興味が湧きましたらご覧下さい。
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