大いなるものを信じ現世欲まみれの宗教団体を否定する:洗礼はマーキングと同じ




洗礼とはマーキングと同じでしかも違法行為?という疑問

洗礼

 

前回の記事大いなるものを信じ現世欲まみれの宗教団体を否定する:自分自身のこと)で、私が現性欲にまみれた宗教団体を極度に嫌っていることをお伝えしました。

5年ほど前の私は、宗教そのものを否定していました。

しかし、神道のこころという本に偶然出会い、読み進めるうちに気持ちが変わりました。

 

それは宗教が悪いのではない。

宗教を信じる者が悪いのでもない。

私は 現世欲に憑りつかれた宗教団体が嫌いなのだと気づいたからです。

 

そして 彼らが行う布教活動・未成年者への洗礼などの儀式はまるで 野生の貪欲な動物が行うマーキングと同じではないかと思い始めました。

 

洗礼とは

いい加減な知識で書くのは失礼なので引用させていただきます。

ここでのポイントは洗礼がキリスト教への恭順の証だということです。

イエスキリストの命といいますが、復活後の出来事のようです。

どんな意志がうごめいているのか邪推してしまいます。

なぜならば、この時代奴隷制度が存在したからです。

自分の意志を持たない盲目的なものを作り出す行為!

奴隷と変わらないのではないでしょうか?

1番目に、洗礼(バプテスマ)の本来の意味は「一体化」ということです。

つまり、一つになるということです。通常の形式では、受洗者は水の中に入って全身を浸します。その人はずぶ濡れになります。そのことが、一体化を象徴しているわけです。その一体化とは、もちろん、「イエス・キリストとの一体化」です。
ですから、「自分はイエス・キリストを信じた」、あるいは「イエス・キリストと一つになった」、ということを象徴的に表現するのが洗礼です。

2番目に、洗礼は「救いの条件」ではありません。

「人は信仰と恵みによって救われる」というのが、救いに関する真理です。もし、洗礼を受けることが救いの条件であるなら、救いには「人間の業」が必要だ、ということになります。これは、信仰と恵みによる救いとは矛盾する教えです。ですから、洗礼は救いの条件ではないというのが正しい理解です。

もう一つ付け加えますと、既に救われている人が受けるのが洗礼です。従って、信仰がない人が洗礼を受けても、なんの意味もありません。「水」そのものに祝福する力があるわけではないのです。もしそうなら、「世界で一番祝福されているのは金魚だ」ということになります。水には人を救う力はありません。

3番目に、洗礼はイエス・キリストへの従順の第一歩です。

洗礼は救いの条件ではありませんが、それでも重要です。なぜなら、洗礼は、イエス・キリストを信じてクリスチャンになった人が、キリストに従順な生活を始める第一歩となるからです。洗礼を受ける第一の理由は、「イエス・キリストがそう命令されたから」です。クリスチャンとは、「イエス・キリストに従う人」のことです。クリスチャンになった人は、「私はキリストを信じて、キリストと一体となった」ということを表現するために、洗礼を受けます。

以上のことをまとめてみましょう。

洗礼は救われた人が受けるものです。キリストは、私たち人間が「霊と肉」からできていることを、よくご存知です。洗礼を受けた後は、「あぁ、私は救われてクリスチャンになった」という確信が深まります。これは不思議なことですが、体験的事実です。

イエス・キリストは、私たちが弱い者であって、そのような外面的な儀式が必要であることをよくご存知です。特別な事情がない限り、信じた人は、なるべく早く洗礼を受けるのが良いと思います。

引用元:聖書入門.COM

 

キリスト教は、洗礼の根拠を新約聖書の福音書に求める。イエス・キリストがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた場面[7]や、イエスが復活後に使徒たちに「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊のみ名によって洗礼(バプテスマ)を授けなさい。[8]」と使命をあたえたことなどである。ほとんどの教会で洗礼をサクラメント[9](ラテン語: Sacramentum、ギリシア語: μυστ?ριον「ミスティリオン」)と認める。執行者は一般に司祭・牧師などの聖職者・教役者である。

洗礼によって、原罪およびそれまでに犯したすべての自罪がゆるされるとされている。

出典:Wikipedia

洗礼と宗派の関係

同じキリスト教でありながら、洗礼の方法も他派で行った洗礼への承認方法もまちまちなようです。

宗教団体が世界平和をもたらすことが出来ないのが 良くわかります。

 

ユダヤ教では、改宗者に対して洗礼が行われていたようです。

因みにキリスト教の元となったユダヤ教とは、ユダヤ人のための宗教ということが出来ます。

そしてユダヤ人とはユダヤ教を信じる人であれば良いようです。

 

また仏教にはそのような儀式は見当たらないようです。

 

日本人は無宗教だと言われるのは、入信の儀式や契約をしないからですね。

そもそも必要のないことです。

 

宇宙の法が愛ならば、入信をしない者・契約を交わさない者という概念など湧くはずもないと思うのですが・・・・

 

イエスキリストの洗礼の意味

イエスの洗礼(-のせんれい)とは新約聖書の福音書にあらわれるイエス・キリストの生涯のエピソードのひとつで、ヨルダン川において洗礼者ヨハネから洗礼を受けた出来事。キリスト教の洗礼の儀式のもととなった『ルカによる福音書』と『マタイによる福音書』ではイエスの幼年時代の記述が異なり、『マルコによる福音書』に至ってはイエスの幼年時代についての記事を一切省いているが、これらの共観福音書はどれもイエスの洗礼に関しては同じような内容の並行記事となっている。マタイもルカもイエスの幼年時代の記述からいきなりイエスの洗礼に話が飛んでいる。ルカによればイエスが洗礼を受けたのは30歳のころだったという。

共観福音書でイエスの洗礼の記述はどれも同じような組み立てになっている。初めに洗礼者ヨハネが紹介され、彼の言葉と洗礼の儀式について述べられる。次にイエスがヨルダン川にやってきて洗礼を受ける。そのあと天がひらけてイエスこそ自分の子であるという神の声が聞こえる。これがイエスの公生活の始まりとされている。共観福音書であっても細かい異同はあるが、ほとんどのキリスト教派においてイエスの生涯における重要な出来事のひとつとみなされている。カトリック教会で唱えられるロザリオの祈りのうち、光の神秘のひとつがこの「イエスの洗礼」になっている。

出典;Wikipedia

そもそもイエスキリストはユダヤ教徒として生まれたのではないでしょうか?

そして洗礼を受けています。

一体になる儀式を他者に委ねるとは、どういう意味があるのでしょうか?

 

私は、イエスキリストが自分を人間として認識していた証左の一つだと思うのですが・・・・・

もしイエスキリストだけが 神の子であるならば、私たちは神の子でないのでしょうね。

しもべですか?

 

さらには神の子であるならば、さらにイエスの子がいてもおかしくはないです。

 

そしてその子もまた 神の子ではないのでしょうか?

キリスト教に詳しくなくてスミマセン

 

洗礼は信教の自由に反する違法行為

ここからが私の強く言いたいところです。

 

宗教の是非は何歳から可能なのか?

未成年者は判断能力が劣るという解釈なはず!

ならば、少年法の対象年齢者は宗教施設に出入りするべきではないのか?

 

日本でも子供を農業に従事させている宗教団体がありました。

強欲な宗教団体から子供たちを守るために、議論が必要だと思います。

 

宗教に関して政治家はあまりにも及び腰です。

 

それは政治が宗教に支配されている部分があるからだと思われます。

何とかしなければ、いつの間にか変な宗教に支配されてしまいます。

 

宗教を止める

一度洗礼を受けたからと言って、その宗教団体に永遠に帰依する必要はありません。

信じられなくなったら、離れればいいだけです。

他の宗派でも同様です。

そもそも信じきれない存在が神であるはずもないですから。

 

契約破棄の罰則を事前に説明されていますか?

 

地獄へ落ちると言われましたか?

 

愛ある神がそんなことするわけがありません。

そんなこと言う団体はインチキです!

 

私はキリスト教を否定していません。

西早稲田2-3-18に関わる国のキリスト教を名乗る団体が嫌いなだけです。

 

私は宗教を否定していません。

強欲な宗教団体を毛嫌いしているだけです。

投稿者プロフィール

大橋雅夫
大橋雅夫respect justice
鎌倉生まれの湘南育ちです。
60才を越えましたが、まだまだ好奇心旺盛です!

このブログでは、『知らないではすまされない事を、お知らせしていく』がメインテーマになっています。

いわゆる情弱で損をさせられている人が一人でも救済されますことを願って、ブログを書き続けていきます。


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