一所懸命の土地
一所懸命の土地 (いっしょけんめいのとち)は、中世日本において各々の在地領主が本貫とした土地であり、命をかけて最後まで守り抜く覚悟を持った土地をいう。その土地の地名を名字として名乗ることが多い。また一生懸命の語源でもある。
出典:ウィキペディア
私は、いっしょうけんめい(一生懸命)という言葉に慣れ親しんできました。
一生という時間の概念は特にはありませんでした。
とにかく、懸命に目の前の事を行うという感覚で捉えていました。
一所懸命とは、鎌倉時代の武士たちが将軍様から預かったり先祖代々伝わっている土地を命懸けで守ったことに由来しているようです。
いつからか「一所懸命」は主に「命懸けで取り組む」という意味だけが残り、さらに「一所」が「一生」と間違われて「一生懸命」となり、発音も「いっしょけんめい」から「いっしょうけんめい」に変わったと言われているらしいです。
確実な明日が見えない時代、瞬間、瞬間を神経を研ぎ澄ませて懸命に生きなければ一族が滅びてしまったのでしょう。
今で云うところの一点集中、一点突破に命をかけて取り組む姿勢かも知れません。
刹那に生きる意味
刹那とは仏教の時間の概念です。
刹那の長さ
刹那の長さについては諸説あるが、指をひとはじきする(弾指)間に65刹那あると言われているほか、『大毘婆沙論』では、24時間=30牟呼栗多=900臘縛=54,000怛刹那=6,480,000刹那とし、1刹那の長さを1/75秒に比定している。
しかし、唯識教学の開祖である龍樹は、刹那に具体的な時間的長さを設定する思想を否定している。
出典:ウィキペディア
一所が場所的な概念が強いのに対して、刹那は時間的な概念です。
刹那に生きるとは、私的解釈では、一瞬一瞬を無駄にしないで生き抜くということだと感じています。
存在の価値を証明
一切を疑っても、それを考えている自分の存在だけは否定できない。
我思う、ゆえに我あり。
そこまで、深く自省することがあるでしょうか?
目の前の大切な事、守るべき事に、その瞬間瞬間に集中して、ただ、刹那を生きていく。
私は、そこまでの覚悟をもって、今世を生きていかなければ、宿命は果たせないのだと再認識させられました。
とにかくやるべき事を必死にやるだけ
生き様が問われています!